ひと月。

震災からひと月。。

本当にいろんなことがあった3月。
ありすぎた3月。

11日の地震があったときは、パリはまだ明け方。
地震発生1時間後のパリ朝7時半、京都の友達が機転を利かせて、国際電話をかけてくれて知りました。
すぐ、NHKの国際放送をつけたら、、恐ろしい津波がみるみると、畑や仙台空港を飲み込んでいくヘリコプターからの映像が中継で流れていて、、これが日本で今起こっていることなのか、、、テレビの画面で起こっている事が信じられなく、悪い夢を見ているようで、、身体中がふるえ、涙が止まりませんでした。

仙台の家族にすぐ電話をしたけれどもちろん繋がるわけもなく。

次に、ツイッターを見てみると。
東京の地震と、交通渋滞の麻痺、そして人々の混乱のつぶやきがたくさん。。
見守るしかない、不安な時間が続きました。

幸い、家族とは7時間後、短い携帯からの無事を伝える一文が来て、無事を確認。
充電が足りなかったようで、本当に電話で声が聞けるまでには2日くらいかかったでしょうか。
電気が通らないから、ろうそくと、カセットコンロでしのいでる。灯油も節約しなくてはならず、家の中でもコート着てるわと。でもお家は地盤が堅かったようでそんなに被害がなかったのです。
お友達も、連絡先を知っている子にはだいたい確認ができたけれど、まだ気になる人が数人。元気でいることを願っています。。

今、仙台の実家は、ガスがまだ通っていない以外はいたって、普通の生活に戻りつつあります。
ガスがないので一番困るのはお風呂。幸い、通っているスポーツジムが営業を早くから再開。そこに運動で気分転換、そして、シャワーを浴びにいっているようです。
とにかく自分たちは恵まれている方、もっと大変な方が沢山いるのよね、と両親ももどかしくも、とにかく、自分たちに出来るのは、今は落ち着いて、なるべく普段通り消費して、仙台の経済を立て直しておく事だと思っているようです。

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仙台両親と妹の安否が分からない間、
ふるさとの惨状をテレビの画面で見ている間、
今まで海外にばかり目を向けていた自分が、いかに日本と、そして家族を心の寄りどころそしていたかを実感しました。

また、母から時々送られて来ていた日本の食べ物を見て、地震直後、両親がいろいろ不便を強いられているだろう生活のこと思うと、フランスで平和にご飯を食べる日常に、胸が痛かったです。

そして、「もったいないっちゃ〜」と、いつも当たり前に食べている1粒のご飯にも、感謝していた第二次大戦の中を、仙台の空襲も生き抜いた祖母をおもいだしました。


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by saya-utrecht | 2011-04-15 01:59 | Paris Diary
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